長野県での思い出はホロ苦だ

 
僕の長野県の滞在期間は約半年間です。その間に大したことは無かったのですが何か嫌なことしかありませんでした。

今思い出すと何で長野に行ったんだという思いしかありません。人生の岐路にあったことは事実でしたがその選択は最悪なものになったと今でも思います。最悪であるということについては何ともここで公表できないもののまさに苦しい胸の内ということ以外に表現できません。

皆さんには何と申して良いのか?それでも今無事に生きているということをご報告しないといけないのではないのかというように思うのです。しかしながら一切の連絡も取っておらず、今更つまらないご報告をするのも何とも億劫であり、このまま僕は何も無い人生を終えるのだなというように考えました。

長野での半年の結末


長野での生活が終わり(それは自分で決断したのですが)帰ってきたのですがそこから坂を転げ落ちるように人生が悪い方へ展開していきます。

その詳細はここで書くことができないのですが最悪であることは言うまでもないことです。自分が今生きているのも何とも奇跡というかあり得ない話であり、もしかして何かのタイミングがあればきっと今生きていなかっただろうということは間違いありません。

今生きているのはなぜなのかという問いもありますがそれを考えるにただの怠惰だということが言えるかもしれないのです。

そう、死ぬことも選択しない怠惰。本当に自分の駄目さ加減を思うと今更ながら呆れ果てるのです。

遠いところへ行きます


今後は遠いところへ行く予定です。
また見知らぬ土地に行ってひっそりと余生を過ごしたい。

生活資金はどうなるのか分からないけれども今の仕事を続けながらひっそりとやや都会の片隅で生きていこうと思うのです。

そこに何かがあるなんていうふうには一切思いません。しかし、今行かないといけないように思い始めました。これは何かの運命なのだなと思ったりしますし頑張って死なないように生きていこうというようにも思うのです。

そう言えば両親も僕には居て老後の面倒を誰が見るのだと言われることもあります。確かにそう言われると心苦しいですね。一体何のための息子なのか。

これは本当に親不孝であり親に何もできない息子なのです。今後のことは全く白紙であるものの移住することは決まっていて両親を呼べるような新居を立てることも叶わないでしょうから人生というのは厳しいものです。

このままどうするかというのは僕にも分かりかねます。人生は未来はきっと見えないから未来なのであって見えていたらおかしな人なのではないでしょうか。人生というのは孤独なものです。たった一人で生きていくのは寂しいですし辛いもの。しかし今後もずっとそうで死ぬ時はせめて誰もが一人で死んでいくのだということだけが孤独ではないと思います。自分だけではないということがたったそれだけとは、何とも苦しい胸の内がそこにもあるのだなあと思いました。

線路でひとり眺めていても・・・


最近は世知辛い世の中であってひとり線路を眺めていても誰も声をかけません。

線路を眺めていると誰かが助けてくれるなんていうことを期待している訳ではないものの線路に飛び込むような人間を止める者はいないということなのです。これは一体どうしたことなんだろうか。町でも誰も声を掛けるモノはいなく日本というは孤独社会が完成してしまったのだということなのでしょう。

僕の周りでもどんどんと人が死んでいるし、どんどんと孤立が増えています。これを社会は放置しているし今後も改善の見込みはありません。

自分だけは孤立しないと思ってたのですがすぐに孤立してしまいました。これは運命だと思うし、その努力をしてこなかったのが悪いと自分を責めるだけなのです。どんなことで最近は自己責任だと言われることが増えました。嫌な世の中ですが何も救いようがない世の中です。宗教に救いを求める人がいますが今は新興宗教だらけ。名指しで批判するつもりはないものの集団ストーカー被害者が増えている中でそういった非世界宗教に入る気もサラサラ起きません。信用度がないものに入ることもできず日本は宗教すらない国です。

つまり救いようがないから人々は孤立して宗教も持たずただただ非難し合うことになるのです。



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